M3A1 SMG(サブマシンガン)

M3SMG、通称「グリースガン」(グリースポンプに形状が似ているところからきた名称)は
アメリカ参戦直前の1941年2月に開発がスタートした
これは当時の世界情勢から見て戦争は避けられず、従っていざ戦争になった場合
生産性に欠けるシンプソンSMGに代わる銃が必要とされたからである
というわけで開発にあたり最も重視されたのが生産性の問題で、その手本とされたのは
ドイツのMP40だったと伝えられる
軍は自動車メーカーであるゼネラル・モーターズ社に対して開発を依頼、これにはもともと
自動車メーカーのプレス技術を生かそうという狙いは見事に当たり、完成した銃は1942年に
M3SMGとして正式採用される
M3SMGの部隊交付は1943年中頃から開始されるが、従来の銃のイメージからだいぶ
かけ離れていたため、兵士達の間ではその評価は低く、なかば軽蔑的に「グリースガン」
あるいはケーキデコレーター(ケーキのデコレーション用の道具)などのニックネームが
つけられた
ただし銃自体のの信頼性は良好で、しだいに兵士達の人気を集めるようになり、
1944年には
M3の欠点を改善し、コストダウンを狙ったM3A1が登場
1943〜1944年にM3SMGを1944年にはM3A1を総計621,000丁製造した
以後、第二次世界大戦・朝鮮戦争(イサカ社が製造)・ベトナム戦争でも多数が使用された
中国(36式・37式)、アルゼンチン(P.A.M.1)などがコピーとして作られ