《弥生の山王》

山王台地の上にも、弥生時代の中ごろ、
稲を育てて生活する集落ができました
集落は環濠(かんごう)と呼ばれる、
溝に囲まれた住居があつまったものです
山王台地につくられた集落は分村といって
小さな集落だったようです

昭和47年山王2丁目で弥生式土器が発見されました
昭和54年、今の山王公園の東どなりにあるマンションを
建てるために発掘調査が行われ、弥生時代の中頃の住居の跡が
4軒と溝に囲まれた1つの墓(東京で一番古い)がみつかりました
溝は長さ65M幅が4M深さが2MでV字形をしています
住居は、20軒程で100人位の人が集落で生活していたと思われます
「山王遺跡」と呼ばれています

上:山王遺跡の配置図

昭和63年山王3丁目を中心に発掘調査がおこなわれ、
弥生時代の終わり頃の住まいの跡や溝が見つかりました
この溝から、壺形の土器や鉢形の土器等がまとまって出土し、
マガキ・ハマグリなどの貝が見つかまりました
「山王3丁目遺跡」と呼ばれています
平成8年山王2丁目で遺跡発掘調査はじまる

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