徳川八代将軍吉宗の時代に伊勢から鶴の餌付け役人として「橋爪源太郎」が 呼び寄せられ、大田区にある御鷹場で(詳しくは徳川家のお 鷹場の項参照) 鷹狩りの 格好の獲物である鶴が羽田に飛来するように餌付けをしていました
その鶴の供養のために明治35年に 源太郎の末裔が建立しました 右に見えるのが鶴墳です
石の墓標で高さ70センチで 「鶴墳」と刻まれれおり 横に「橋爪氏」と 小さく刻まれています
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